東大、京大は素晴らしいことは間違いないだろう。だが、そこまで固執するほどの価値があるのだろうか?
日本の企業で東大、京大学部生新卒に年収11万7,499ドル(一ドル130円換算で約1520万円)を払う企業があるのか?無いことはないだろうが、例外中の例外だろう。だが、アメリカの場合、アメリカのトップ大学の新卒なら、その金額は珍しいことではないようだ。例えばHarvey Muddの学部卒(2021年卒)の中の71名の初任給の中央値はなんと11万7,499ドルだった。
中国の覇権が強まる中、売国政治家、売国官僚、売国経済人が跋扈する日本の経済は今の大学1年が卒業する頃までにガタガタになっている。そんな時代に東大、京大でさえ文系学部を卒業して日本企業に就職しても最初の年収はせいぜい400万円程度だろう。いや、それすら危うい。
そんな東大、京大の文系学部に入るために小4あたりから中学受験勉強に埋没する人生は虚しい。もっとも日本の中所得層以下は、それしか道はないので競争は今以上に苛烈を極める。そして、その競争の中で大多数の子供が精神を病むことになる。教育が「まともな教育」であるなら精神を病むことはないが、教育そのものが質が悪いので「食中毒」に罹るのと同じなのだ。腐ったものを食べれば身体を壊すのであり腐った教育を受ければ心が病む。
だが高所得層は、そんな絶望的状況から幾らでも脱することが可能なのだ。
中学3年からアメリカの優良なBoarding Schoolに入学するのである。繰り返していうが、それまでは近所の小学校、中学校で勉強すればいいのである。もし、劣悪な教育から一刻も早く遠ざかりたい、と願うのであれば8歳からイギリスのBoarding Schoolに行けば良いのである。