英語の発音のことになると99%以上の日本人は次のように主張します。
「ネイティヴのようなきれいな発音での日本語運用能力は必要ない」「英語を話せることでなく、議論の中身が重要」
実にバカげた主張だが、日本国内では、この手の主張が通ってしまう。それもそのはずで、英語をまともに発音できる日本人など1%もいないからだ。この主張がいかにバカげたものかは英語を日本語に置き換えてみればわかることだ。
「ネイティヴのようなきれいな発音での日本語運用能力は必要ない」
「日本語を話せることでなく、議論の中身が重要」。何か語っているようで、実は意味のあることは何も語っていない。これが、この手の論理を振り回す人たちの特徴だ。
ネイティヴのような「正確な発音」をしない限り「通じない」という真実を受け入れようとせず「不正確な発音」で力づくで英語ネイティヴとコミュニケーションをしようという根性の人間は、それが一種の暴力であることを理解していない。
外国人から母音や子音が不正確な発音で日本語をまくしたてられたら、あなたはどう思うか?
こういった理屈が分からない連中が学校で生徒に向かって「ネイティヴのようなきれいな発音での英語運用能力は必要ない」「英語という道具で世界のいろいろな人たちと議論することに価値がある」「英語を話せることでなく、議論の中身が重要」などとしたり顔で接しているから、いつまでたっても日本の英語教育はダメなのだ。
日本語と英語は性質が違う言語だということを理解しない限り永遠にこの問題は終わらないのでしょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・。