先般、京大の寮で騒ぎが起きましたが、何とまあ時代錯誤な事だろうと暗澹とした気持ちになります。日本有数どころか世界有数の大学の学生寮で、時代錯誤のゴタゴタが起きる。大学が警察官が無断で寮に立ち入ったと「遺憾の意」を表明する。
日本の大学は基本的には学生寮を持たない理由が、実は、上記のような事態を懸念しているからです。アメリカの大学は寮に入るのが原則であることとは大違いです。
こういった時代錯誤の日本の大学は、外国人学生はもちろん、外国人教員からも敬遠される。もっとも40年ほど前のイタリアの大学も似たようなものだったのかもしれませんが。
貧富の格差が拡大している欧州では極右が台頭しているとのことですが、日本も、いずれは右派が勢力を拡大することは確実でしょう。
逃げ場のない未来社会を目前にして、どう生きるべきか?を考えず、ひたむきに受験勉強をしていたり、観念的社会改革を夢想するようなことをして、自らの能力の研鑽を怠ったなら、待っているのは「喜びもなく食べて生きていくという単純なことを持続させなければならない」という宿業です。
最近になって、やたらと有識者が「リベラルーツ教育こそが重要だ」と発言することが目立ちます。世間は、その発言を「専門性の否定」だと誤解をし、例えば「~教養大学」なんていう名称の大学が大人気になったり、リベラルアーツを標榜する私立大学が元気になったりしていますが、しかし、アメリカの大学の有り様と前提として、そういう日本の風潮を観察すると、まったく馬鹿げたことだと思ってしまいます。
時代の流れは確実に「専門性を身につけた者」と「専門性を身につけない者」とに峻別される方向に向かっています。そして、さらに「コンピューターとの親和能力」が問われるようになる。
リベラルアーツ必要論は専門性の必要性が前提なのです。大学で言えば、学部レベルの学歴では不十分であり、修士、博士課程での学習が必要である、という主張につながるのです。
学力があり、世の中を変えたいと願うなら、アメリカの中堅~トップレベルの大学に行くしか方法はないと思います。
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時代錯誤の日本の大学
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