日本の大学入試が英語の学力評価を巡って迷走しているが、何とも情けない限りだ。大学独自で何も決められない。追い打ちをかけるように政府の科学研究費総額は2011年度をピークに減少し国立大の息の根を止めんばかりだ。日本政府の官僚組織に中に誤った思想を持った者たちがおり自らの理想を実現するにあたり先ず、教育を徹底破壊するつもりなのだ。誤った思想とは「エリートの否定」だ。
科研費総額は2,284置く円だそうだが、その額以上のお金が「私立大学等経常費補助金」という名目で実は二流、三流、四流の「私立大学」にまるで豆まきの豆のようにばらまかれている。昭和45年度から平成29年度末までの交付額は、12兆760億円に達している。私立大学在籍者が大学生の70%にも及ぶ日本の特殊事情を考慮した典型的な愚民政策だ。
科学者が口を揃えて基礎研究の重要性を説き、予算を潤沢にするよう発言しているが、日本政府の文科省の官僚は、そんなことは先刻承知で、日本の科学の息の根を止めるために、科研費を削り、特に基礎研究にお金が回らないように画策しているのだから、そういう意見に耳などかすはずがない。
しかし、これは官僚だけの仕業なのか?国民自身が科研費より「私立大学等経常費補助金」のほうにお金を回すことを心の中で強く要求しているのではないか?即ち、文部官僚が国民大衆に迎合した結果ではないのか?
文科省官僚による「非エリート教育政策」の推進と新しい大学入試の結果、理系分野の教育は破壊されることは確実だ。かって「ゆとり教育」が日本社会を根底から崩したと同じ効果を発揮するだろう。そして、悲しい限りだが日本の理系大学教育は壊滅的ダメジーを受けるだろう。
かくなる上は優秀な理系の中高生はアメリカあるいはイギリスに「教育亡命」するしかない。自分の身は自分で護るしかない。
何故英語を学ぶのか?それは英米の優れた教育、特に大学、大学院教育を受けるためである。
この事を明確に意識し、自分のモーチベーションを維持できた者こそが10年後、20年後の日本を支えていくのである。