則天武后という名前を何気なく聞き流してしまっている人は多いだろう。生きていた時代は624年から705年である。日本では622年に聖徳太子が亡くなり、645年に大化の改新があり、武昭と呼ばれていた側室が唐の3代皇帝、高宗の皇后 則天武后になった655年の8年後、663年に白村江の戦いがあった。663年の白村江の戦いで、大和政権と660年に滅亡した百済の復興を図る勢力の連合軍が則天武后の唐と新羅連合軍に完敗した後、668年には高句麗が滅亡した。まさに日本と深い関わりのあった人物だ。その性格は極めて残忍の一言に尽きる。
中国では残忍な者が権力の座に就く。中国共産党は文革、天安門事件、チベット、ウイグルで大量虐殺を繰り広げてきた。このような国を隣国に持つ日本が平和憲法を掲げていることの危険性は計り知れないものがある。