毛沢東の戦略は「力の70%は勢力拡大、20%は妥協、10%は日本と戦うこと」で、日本軍と正面で闘っていたのは蒋介石の国民党軍だった。1937年に日本軍が蒋介石の南京を陥落させたニュースを聞いて大喜びしたのは他でもない延安にいた毛沢東だ。南京陥落後、蒋介石夫妻は自分達だけが、アメリカ人パイロットが操縦するドイツ製の飛行機でこそこそ重慶に逃走した。その後蒋介石は国共合作で自滅した。
日本、満州国、汪兆銘の南京政府(1940年3月30日から1945年8月16日)の3カ国の同盟による東亜新秩序が実現してさえいれば毛沢東の中国共産党支配は実現することはなかったのであり、文化大革命での殺戮、天安門事件、チベット弾圧、ウイグル弾圧、香港弾圧は起きなかった。