日本人にとって、漢字も外国語であり、英語も外国語、同じ外国語なら漢字なんかじゃなく英語を、という考え方に大胆かつ果敢に変換するべし、と考えます。
藤原 正彦さんの祖国とは国語であるという考え方には共鳴するものを感じますが、しかし、その一方でコンピューター社会の進化の裏で進んでいることは「英数字」が支配的な社会の到来です。
プログラミングは漢字やひらがな、漢数字などでは書けません。パソコンでは英語であれば「変換」作業など不要ですが、日本語では変換する作業が必要です。英語と日本語では明らかにスピードが違います。
こういった諸々のことを考えると、おそらく50年後には日本語、中国語、韓国語ばかりでなく「非アルファベット」の言語は消滅してしまう可能性が高いと思います。このことを阻止することは不可能でしょう。
故に、これからの時代に生きるためには漢字文明からの完全な脱却が必要なことは明白です。
日本人に特有の情緒は日本語によって育まれるとして、では日本語とは一体全体いかなる言語であるのか?そもそも「原日本語」なるものは存在するのか?という疑問が湧いてきます。漢字は中国文明の産物であり、ひらがなは、そもそも漢字から生まれたのですからもとを正せば中国文明ということになります。大雑把に言ってしまえば、日本文明とは中国文明を源泉としていると言えなくもない。漢文が書ける事、漢詩が書ける事が教養人のたしなみであった時代もあります。
そういったことが太平洋戦争での敗戦で一気に崩壊してしまい、さらにはITの進化で加速され、今や漢字に立脚した文化そのものが危機に瀕していると言えます。
昔は意味が分らなくとも漢籍の素読をしたそうですが、今の時代は意味が分らなくとも英語の本の素読をする・・・・・ということで良いと思います。どうせ子供には漢文であろうが英文であろうが意味などわかりゃあしないのですから。
しかし注意が必要なのは、漢文の読み方を日本人は日本語の語順、音声iに置き換えて読むという変則技を使いましたが、英語で、それと同じ間違いをしてはならないという点です。
いや、とんでもない、漢字文明を礎とした日本語を維持すべきだ、というのであれば、日本語の使用人口を1億人だけでなく10億人程度にまで広げ、かつコンピューター言語として日本語を使用する、ということを実現することが必要でしょう。しかしこの2つは実現不可能と思います。
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